琵琶湖の畔に降り立った天使たち〜タリス・スコラーズ
このところ精神的にまいることが多く、かなり塞ぎ込んでいるのだが、今日は少しの間その気持ちを忘れさせてくれる時間を与えられた。スーパー・グループ、タリス・スコラーズのコンサートに行ってきた。2年前の今日、タリス・スコラーズのコンサートに行ったのだが、それ以来のこととなる。
滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールの大ホールだった。少し大きすぎないか、と思ったのだが、それも杞憂に終わった。パレストリーナの「立ち上がれ、輝け、イエルサレムよ(第1部)」から始まったが、その第一声を聴いて、やはりぞっとするものを感じた。このグループの素晴らしさは書いても書き尽くせないと思うが、やはりそれを生の歌声で聴くと、その気持ちがより一層増す。前回実際に聴いて感じたのだが、今回も同じ感覚を持った。それは、
彼らは歌っているふりをしているだけ(つまり『口ぱく』)で、実はCDが流れているのではないか・・・
ということだ。それくらい、目の前で歌われていることが現実のものと理解できないくらいに、人間離れしている世界が展開しているのだ。
演奏は、前回と基本的に変わらないやり方だった。
1)曲によって編成を変える
2)曲によって配置を変える
3)曲の始めのチューニングは、アルトのパトリック・クライグが声を出すことで行われる
というものだ。1)については、まあ当たり前と言えば当たり前のことだ。2)については、わたくしが今回聴いた限りでは、
舞台に向かって左から
(1)ソプラノ(2人もしくは4人)ーアルト(2人)ーテノール(2人)ーバス(2人)
(2)ソプラノ(2)ーアルト(1人)ーテノール(1人)ーバス(1人)ーバス(1人)ーテノール(1人)ーアルト(1人)ーソプラノ(2)
というのが基本的な配置のようだ。もちろん、曲によって編成が変わるので、ソプラノ3人とテノール1人という曲もあった。
3)については、アカペラグループらしいチューニング法だ。それにしても、少し声を出し、他のメンバーはそれを聴いただけで、恐ろしいくらいに調和した合唱を始めてしまうのだからびっくりする。どうやらポケットに音叉を入れていて、始まる前に耳でその音を聴いてから声にしているようだ(ある曲の始めにそれに気がついた)。もちろん、アルトが出てこない曲では他の人がチューナーとなる(今回は1曲だけソプラノが担当した)。
さて、今回もアレグリのミゼレーレが演奏されるとあらかじめわかっていたので、「あること」を期待していた。後半の最初の曲目がそうだったのだが、舞台に出てきた人数を見てそれが当たっていることを知って、思わずにんまりした。
舞台に出てきたのは、ピーター・フィリップスと、ソプラノ(2)、アルト(1)、テノール(1)、バス(1)だけ。そして舞台に向かって右側の3階席にテノールのサイモン・ホール、そして右側にソプラノ(2)、アルト(1)、バス(1)の4人。この3カ所で、それぞれ歌われるのだ。ホールは大ホールでかなり大きかったのだが、それをまったく気にしないのか、これだけ3つのグループが離れているのに、ちゃんと調和して声が聴こえてくる。特に3階席から歌われている部分では、まさに天から歌声が降ってくるようだった。前回同様、曲が終わると、もの凄い拍手とともに、大きなどよめきが起こった。以前にこの恐ろしい演出に心底びっくりしたのだが、何度聴いても驚かされる。
前回聴いた時とメンバーがかなり変わっていたが、それでも一切その質の高さは揺らいでいなかった。歌っているのは最大でもわずか10人である。人間の声も「楽器」であると思っているが、彼らはそれをはるかに超えるところに存在している感じがする。同じ人間の世界とは思えない。彼らが「天国からやって来たグループ」であると言っても、誰も疑わないだろうと思う
プログラム
パレストリーナ;立ち上がれ、輝け、イエルサレムよ(第1部)
パレストリーナ;教皇マルチェルスのミサ曲
休憩
アレグリ;ミゼレーレ
クローチェ;我らの大地は賛美の歓びに沸く
ガブリエリ;ほむべきかな、主なるイスラエルの神
フェスタ;汝は何と美しきことか
パレストリーナ;うるわしき救い主のみ母
パレストリーナ;しもべらよ、主をたたえよ
アンコール
ロッティ;十字架にかけられて

