廉価考
このブログで何度か書いているが、父はクラシック・マニアで、物心ついたときから、家の中では普通にクラシック音楽が流れていた。その中で、モダン楽器を使った演奏にアレルギー反応を起こしつつも、古楽器という素晴らしいものに出会い、今は苦手としていたクラシックも、古楽器で演奏されたものであれば、ずっと聴いていることができる。
父はバロックに限らず、満遍なくクラシックと言われる音楽を聴く人である。わたくしがバッハを聴き始めた頃、わたくしは当然鍵盤楽器に関しては、グスタフ・レオンハルトしか考えられなかった。今でも圧倒的な頂点に君臨しているのは言うまでもない。自分の部屋ではレオンハルトの音楽に陶酔していたが、父の部屋ではバッハの鍵盤音楽は、チェンバロの時もあればピアノの時もあった。むしろピアノの方が多かったと思う。これはわたくしがバッハのクラヴィーア曲のほとんどを、レオンハルトの録音でそろえてしまったこともあり、同じCDが二枚家にあっても仕方がないという理由もあっただろう。
その父が好んで聴いているピアノ演奏が、アンドラーシュ・シフによるものだ。バッハのピアノといえば、グールドが出てくるのだろうが、父はなぜかわたくし同様グールドを苦手としていた。そういう意味で、バッハのピアノ演奏というのは、シフの演奏なのだ。
いつものように前置きが長くなったが、古楽器を専門にしているこのブログであえてピアノを取り上げたのは、今日のタイトルと関係する。先週HMVのサイトをうろうろしていたら、シフのCDを見つけた。
「鍵盤楽器のための作品集 アンドラーシュ・シフ(12CD)」
オンライン会員特価(税込): ¥4,621
一般価格(税込): ¥5,135
1982-91年にDECCAでなされたデジタル録音を一気にまとめて発売されるのである。1枚500円もしないのだ。
CD1
・インヴェンションとシンフォニア BWV.772~801
・4つのデュエット BWV.802-805
・半音階的幻想曲とフーガ BWV.903
CD2
・平均律クラヴィーア曲集第2巻第1~13番 BWV.870-882
CD3
・平均律クラヴィーア曲集第2巻第14~24番 BWV.883-893
CD4
・ゴルトベルク変奏曲 BVW.988
CD5
・イギリス組曲第1~3番 BWV.806-808
CD6
・イギリス組曲第4~6番 BWV.809-811
CD7
・フランス組曲第1~4番 BWV.812-815
CD8
・フランス組曲第5~6番 BWV.816-817
・イタリア協奏曲 BWV.971
・パルティータ(フランス序曲)BWV.831
CD9
・パルティータ第1,2,6番 BWV.825,826,830
CD10
・パルティータ第3,4,5番 BWV.827,828,829
CD11
・平均律クラヴィーア曲集第1巻第1~12番 BWV.846-857
CD12
・平均律クラヴィーア曲集第1巻第13~24番 BWV.858-869
バッハの主要なクラヴィーア作品をほとんど網羅している。個人的にはグールドのピアノよりもずっとすっきりとしていていいと思うのだが、その価格を見て何か釈然としないものを感じるのである。
たしかにシフのCDを持っていない人にとって、そしてバッハの演奏を聴きたい人にとっては実に魅力的な価格である。ただ、最近こうした過去に録音されたものが、ボックスセットの形で、1枚数百円(大抵は500円以下)で売られているのを見ると、過去に乏しい小遣いをやりくりして、毎月1枚ずつそろえていたのは何だったのか?と思うのだ。
先日も、バッハのオルガン全集(15CD、アランの1回目の録音)が、7000円ほどで店頭に並んでいた。これも一枚一枚買っていた時は、かなりの値段がしたものである。
ブリリアントやNAXOSといった廉価レーベルの出現は実にうれしい。しかしその反面、あまりの価格の下落を見ていると、なんとも表現しがたい複雑な思いにかられるのだ。
クラシックから話は離れるが、ジャズのある評論家が書いた本を読んでいて、面白いことがかかれてあった。ジャズもこうしたボックスセットが廉価で売られているのである。その筆者は、そうしたボックスセットの購入を否定していた。その理由は、
ボックスセットで買ったCDというのは、往々にしてCD棚の隅に置き去りにされ、ほとんど聴かれることのない運命になることが多い、
というものだ。たしかに、ボックスセットを買うと、安心してしまう。それが廉価であれば、いつか聴こうと思って、とりあえず放置してしまいがちなのだ。それよりも、苦労して入手した一枚というのは、やはり有難く聴いている感じがする(もちろん、これはわたくしの個人的な体験である)。
今でこそ働いているので、月々それなりに給料というものを頂いているけれど、お小遣いをもらっていた時や、小遣いが支給されなくなりアルバイトをしていた頃というのは、本当に一枚のCDを買うのにかなり悩んだ。だからこそ、そのときに買ったCDやレコードは繰り返し聴いた。CDやレコードのことを「アルバム」ということがあるが、まさにそうした苦労して買った時の思い出がつまった「アルバム」なのである。そのアルバムを聴けば、当時自分がどういう状況だったのかも浮かんでくる。だからこそ「アルバム」という表現は実によく的を得た表現だと思っている。
こうして廉価で入手できることを、素直に幸いと思えないのは、単に年をとっただけなのだろうか?



